2020年 9月13日

 先週のような酷い大雨は減ったものの、雨が降ったり止んだり、晴れたり暑くなったりといった変わりやすい天気が続く。相変わらず、一度晴れたら皮膚に痛いくらいの日差しだが、さすがに夜は涼しく寝られるようになった。

 先週の大雨には驚いたけれど、今年になって、藤野での風水害の時の避難場所に変化があった。一言で言えば、避難場所が増える。

 昨年の台風では思いもよらない数の被災者を出した事で、もっと避難場所を多めに確保する必要性が出たし、疫病の影響で、なるべく一カ所の避難場所に大勢を詰め込むのではなく、避難場所の数を増やして被災者を分散して、人と人の間隔を空けられるようにするのが目的。私の棲む牧馬の里で言えば、これまで避難場所と言ったら南小学校だったが、これに篠原の里が加わった。

 私としては、避難場所を増やす理由は上記のものだけでなく、もう一つ、重要な必要性があると思っている。藤野のような山里だと、避難場所に行くまでの道が被災して通行止めになる事も多い。実際、昨年の台風では、篠原から周辺に通じる4つの道路の内、二つの道路が通行止めになった。これでは、避難場所に行きたくても行けない場合も出て来る。

 こんな事を考えると、避難場所は複数想定しておいた方が良い。


 もう一つ、災害対策で、今までとは違った変化を感じる事があった。自治会での会合で、今後の災害への対処について話し合いがもたれた時に、「避難場所に避難する場合、極力、自分の分の食料は持参して欲しい」という意見が出された。なんか、今までの感覚だと、避難場所に行けば備蓄食料が期待できると漠然と考えていたけれど。なんかシビアになったなァ。

 実際、昨年の台風では篠原の里に多くの被災者が何日間も寝泊まりする事になったわけだが、食料の問題では苦労したらしい。幸か不幸か、この時は数日後にイベントを控えていて、イベントの飲食に使う食料があったのが救いとなった。もちろん、イベント自体は台風の影響で、それどころではなくなったわけだが。

 確かになぁ。避難所に備蓄されている食料だって、そこに避難する人の数が多くなれば、食べ尽くすのも、あっという間だろう。

 自治会で配られた書類には、避難所に避難する際に食料と水だけではなく、室内履き、懐中電灯、マスク、消毒液、体温計も持参して欲しいと書いてある。この辺り、疫病の流行を意識した、いまどきらしい。

 秋は始まったばかり。台風シーズンも始まったばかり。今から油断無く危機を想定して対策を練っておくのは大事だろう。なんか未だ南の海の温度が高いのか、藤野でも妙に入道雲がモクモクと沸いて、南国のスコールのような雨を降らせる。

 こんな現象を目の当たりにすると、さすがに疑り深く、簡単には断定しない私でも、気候変動は起こっているよなぁと、認めざるを得なくなって来る。夏の暑さの深刻さもあるけど、どうも雨の降り方、風の吹き方、いずれも極端だ。おまけに、今後更に極端さが増して行く可能性だってある。

 これはけっこう恐ろしい事で、道路や橋といった交通の設備や、ビルなどの建物は、これまで風速何メートルまでは耐えられるとか、降水量何ミリまでは耐えられるとかいった基準で設計されていたのが、その基準が役にたたなくなってしまう。まあ鉄筋コンクリートの建物なら、少々基準を超えるような災害にも堪えられるかもしれないが、一戸建ての木造の住宅とかは、どうなるんだろう。

 これまで、気候変動という言葉に対して、鼻で笑う人もいれば、笑わないまでも、どうせたいした事にはならないだろうと、タカをくくっていた人もいるだろう。国民全体の割合から考えたら、そっちの方が主流かもしれない。

 でもこれからはどうなるんだろう。毎年の様に、それまでの記録を塗り替えるような暑さ、雨の激しさ、風の強さに襲われる様になり、「この調子だと、自分の住む家も、いつ壊されるか判ったもんじゃない」という不安が、多くの人々に共有される様になった時、人々は、気候変動に対処しようと動き始めるだろうか。

 申し訳ないけど、私はこの点では、やや絶望している。人々は、自分自身が気候変動を起こしている加害者だと言う自覚を持つ機会すら無く、家々を壊されて行くのではないか。

 もちろん、こんな不安が杞憂に終われば万々歳なんだけど。

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