九州の西を北上中の台風の影響が、牧馬にもやってきた。湿った暖かい空気をどっさりと丹沢に持って来て、藤野にも大量の雨を降らせている。まさかこれほどの影響が出るとはね。
土曜日の夜の降りは凄まじく、車を運転しててもワイパーがまるで効かない。こんな大雨の為に、中央高速も甲州街道も、鉄道の中央本線も動かなくなった。道路を使えなくなった車が、藤野の細道を迂回路に使ったために、日頃は静かな藤野の道が、やたらと賑わしい。中には、藤野の道は初めて使う大型トラックがいたのだろう。隘路を曲がれなくなり、かといってバックで戻れなくなり、立ち往生してしまった話も聞く。
幸い、人的被害を出すような土砂崩れの話は聞いていない。ただ、すでに新道が出来て、現在では通行不能になっている旧道が、土砂崩れで崩落した所があったそうな。
あと、大雨の影響か、水道管がおかしくなって断水した地域があったとか。
藤野や旧津久井郡各地では、昨年の台風で土砂崩れを起こしたまま、むき出しの崩落地を曝している所が少なく無い。そういった場所が新たに崩れていないかと心配したけれど、案外、そういった場所はないみたいだね。まあ、まだ情報が揃っているわけではないけれど。
それにしても、まだ近隣には、土砂崩れのために道路が塞がれ、とりあえず片側交互通行だけでもできるようにしている場所だって幾つもあるのに、毎年のように災害を起こすような雨が降られたら、道路を修理する早さよりも壊される早さの方が勝ってしまうのではないか。近年の災害の多さは、そんな危惧を抱かせる。
理想を語れば、災害に遭ってもそれほど被害を受けないような世の中を、計画的に作っていくべきなんだろうけれど、実際には、そううまくいかないかもしれない。
災害に強い世の中を計画する前の段階から、次々と災害に弱い地域が被災し、復旧しようとしても復旧の途上でまた被災し、やがて復旧を断念して放棄されるかもしれない。
最悪は、災害に強い世の中を作ると言うよりも、たまたま災害に強い所にあった町だけが残る、という形だろうか。
一つ希望と言うか、有利な点があるとしたら、たぶんこれからは町作りの難しさが、20世紀の時代よりも楽なんじゃないかな、という点。
20世紀は、とにかく大都市に人口が流入し、本来は危険があって人が住むには不向きな所にだって、無理して住居を作ってきた。大きな川のそばだって、堤防を作れば大丈夫とばかりに、家でもビルでも建てた。これでは災害に強い町にするのは最初から難しい。
でも最近は、在宅勤務も徐々に浸透して来て、何も一極集中の町作りをしなくても良さそうな雰囲気になってきた。住宅地の分散化が可能になれば、何も災害に対して弱い所に無理して住む必要は無くなって来る。
一つ、漠然と思うのは、確かにいずれは、災害にも柔軟に対処できる世の中は作れるとは思うけれども、それは決して、災害に対して戦おうという気持ちからでは、成功への道筋は現れないのではないか。
災害対策という考え方からは正反対に矛盾するようだけど、最後は、自然にはかなわない、という、自然に対する畏敬の気持ちが無ければ、災害に強い世の中は生まれないと思う。
自然に対して、勝とう、克服しよう、という発想がある内は、たとえ口では「災害に強い町作りを」、と叫んでも、それとは正反対の町作りをしてしまい、失敗を重ねるだけだろう。
どんなに文明が進んでも、「自然にはかなわないよ」という気持ちを持ち続けて、人間は決して地球の主人では無く、たまたまこの星に生かされている存在に過ぎない、という謙虚な気持ちを保ち続ける事。そこに、21世紀的な、自然と調和した世の中が、ようやく形を現し始めるのだろう。
そこに至る道を思う時、まだまだしばらくは、人の気持ちがそのように変わるまで、災害による悲劇は止む事も無く、くり返されるのではないか、と感じている。
しかし、
「お前の言っている事は敗北主義だ。自然の脅威に対して立ち向かう気概を無くして、どうしたら災害に強い世の中ができるというのだ。」
と、反発を食らうかなぁ、こんな意見は。やっぱり。
山に住んでいると、大雨で土砂崩れを起こした所にも、新しい芽は生えて、やがて草木を生い茂らせて行くのを見る。
これら草木は、自然の脅威に曝され、時には滅ぼされる。しかし、新たに日々、成長を続けている。そこには、自然に対して対抗するという姿勢ではない。
野生の力強さとは、そんな所にあるのだろう。そして、その力強さは、現代人が失って久しいものだ。
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