2026年 10月11日

 10月6日の夕方から夜にかけて、牧馬は騒然となった。県道には多くの消防車と警察の車両が集まり、取水場から長いホースを伸ばしていた。なんでも、中沢へ至る細道で、倒木が電線を切断し、そこから火災が発生したのだという。

 それにしても、自宅の前に消防車が何台も止まっていると、家の中も赤い光がぐるぐる回るのが凄い。なんか、部屋中がピンク色になって、その手のお店みたいな感じだった。こんな事を書くと笑い事のようだけど、仕事帰りに、自宅に近づくに従って消防車が増えて行くというのは、「まさか自分の棲んでいる家が」とドキドキして、なかなか心臓に悪い。

 それに、秋の長雨の後だったからまだ気楽に構えられていたが、考えてみれば、今年の早春は上野原で山火事が起きて、長い期間鎮火できなかったし、春は渇水が続いて津久井郡の各地のダムでは底が見えるような水不足に陥っていた。そんな状態で、今回のような火災が発生していたら、冗談ではなく自分の棲む家も炭になっていたかもしれない。

 それにしても倒木は、最近は毎月のようにどこかで発生している。これはもう、いったん決断して、道路沿いの木をまとめて伐っておく必要があるんじゃないのか。そりゃあもちろん、それをするにはお金がかかる。でもこれは、いよいよやりざるを得なくなる事態に踏み込みつつあると思っている。

 道路沿いの木は、なるべく伐っておいた方が良い。これは木が倒れて来た時に道路に被害を与える事が最大の理由だけど、他にも理由がある。自然界は何の遠慮も無く人間の領域に勢力を拡大していくが、やはり人間は、そういった自然界から押し寄せて来る力に対して、「ここから先は入ってはいけない」という境界は、堅持しなければ、いずれそこに住む事もままならなくなる。

 以前こんなことがあった。自宅の電話回線が、ある時、通じなくなった。調べてもらったら、どうも電話線がここで不通になっているのではないか、と言う箇所が特定できた。そこは、近くの木から伸びてきた蔓草が、電線にも深く絡みついて繁茂していた。その草を除去して、新しい回線をつないだら復旧は出来た。

 なんでそこが断線したかは判らなかったけれど、作業をしてくれた方々の話では、「蝉が電線のケーブルに卵を産み付ける事がある」という。蝉は樹皮などに針のような産卵管を差して卵を産み付けるけれど、電線の被覆にもそのような卵を差し込む事があるそうな。で、卵を産み付けようと産卵管をぶすりとケーブルに差し込んだら、回線も断線することがあると。

 へー、そんなことがと、その話を聞いたときは驚いた。のちに、そのような被害を受けないケーブルの被覆に改良がされたと聞く。

 自然の生命力の盛んな所では、絶えず人間の棲む領域にも、自然界は浸食してくる。私は何も自然破壊を望む人間ではないが、自然との共存というのは、決して自然に対して何も手を加えないという事ではない。人間の方から自然に対して手を加え、自然の方も人間の領域に入り込む。その衝突の前線が境界となり、同じ場所に人間と自然が同居していると言うことになるのだろう。

 考えてみれば、田んぼを作る、畑を作る、杉や桧を植林する。これらだって、自然界からしてみればすべて自然破壊だろう。自然との共存と言うのは、なるべく自然界に対して、「許してもらえる範囲」の自然破壊をすると言う事なのだろう。そこには当然、自然に対しての畏敬の念や感謝がなければならない。

 さて、道路沿いの木を伐ろうとした場合、いろいろとお金がかかるのは仕方が無いとして、その費用を少しは減らせる工夫を考えるとしたら、こんあ提案はどうかな。

 木を伐れば、伐り終えた木は処分しなければならない。たいがい、廃棄物として処理されるし、処理費用も馬鹿にならない。藤野のような山里なら、薪ストーブを使う人も多いので、そんな人たちに「薪はいりませんか」と声をかけてみたらどうだろう。けっこう需要はあると思うんだけどな。こういった、道路沿いの支障木の大半は広葉樹だろうし、その点も薪ストーブ利用者向けだ。

 たぶん、一昔前の、山の人間も野蛮なくらい活力があった頃は、道路沿いの木が倒れてきて騒ぎを起こす、なんて事は、あまりなかったんだろうな。木が倒れる前に、住民がせっせと木を切り倒して薪にしていたはずだ。仮に、道路に木が倒れて道を塞いでいても、「その倒木は俺がいただき」とチェーンソーを持った山人の奪い合いになっていたかもしれない。

 あまり野蛮なのは困ると思うけれど、そんな活力があった頃が、少しうらやましく思う。

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