2026年 6月21日

 夏至になった。梅雨らしい雨の多い日が続く。雨が降らなくても爽やかな晴天にはならないので、このところ布団を乾かすことが出来ない。まあ、そんな愚痴を言ったとしても、ついこの間までは、ダムの水が足りなくて深刻な問題になっていたんだった。そのことを思えば、有難い天の恵みには違いない。どうやら宮ケ瀬湖や津久井湖も、警戒を解いていいと思えるくらいには、だいぶ水が溜まってきたらしい。

 同じ事ばかり書いているけれど、夏至の頃の木の花って、ただでさえ数は少なく、咲いているとしても地味なものがほとんど。今はミズキが花の季節を迎えている。ミズキの花も、純白と言うよりは、少し緑がかった色をしている。もしかしたら花にも未だ光合成を少しは出来る力が残っているのではないか。

 先日、私も参加している田んぼの田植えがあった。この田んぼの仲間、参加者の年齢が上がってきて、そろそろ終わりかなぁという話が出ている。また、この仲間の作っている田んぼの隣の田んぼは、今年から行われなくなった。既に雑草が生え始め、自然に帰り始める気配を漂わせる。

 こうなると、篠原の田んぼで稲を育てるのは、1つだけしか残らなくなる。長い年月を費やして、水路を整備し、棚田を維持してきたはずだが、篠原の田んぼの火が消える時が、いずれくるのだろうか。

 田んぼも、一度耕作を放棄して、雑草が生え、雑木が生え始めると、また再開しようにも大変な労力がかかることになる。誰か、我こそはと思う人に、稲作をやってくれないものかな。まあこれも、いきなり他人の土地で、いきなりよそ者が耕作をしようと思っても、いろいろと難しい事もあるけれど。

 何か行政とか信頼のおける機関が間を取り持って、地主と新規就農者との調整をしてくれたら、地主も新規就農者も安心できるかもしれない。こういった問題って、日本全国で起きているんだろうな。

 一時期、コメ不足の話が出ていたけれど、かといって、じゃあ農業に力を入れようと言う話にはなかなかならないね。私の思いとしては、もしこの国の再出発を本気で考えるのなら、農業に限らず、第一次産業のテコ入れは必須だと考えている。とにかく、若者たちが将来を考えた際に、何割かの人は、一次産業で働くのも大いに結構と考えてくれるような国にならないと、いずれこの国は活力の根っこを失い、衰退していくしかないと考えている。

 ただ、その思いは前から抱えていたけれど、昨今の中東危機からの石油不足を思うと、農業を復興させるにしても、化石エネルギーに依存しない農業の在り方も考えなくちゃならないなぁと思うようになった。

 エネルギーとしてだけではなく、プラスチックの原料としての石油依存も危険だし。

 もう一つ、一度この国は一次産業と真正面から向き合わなければならないと考えている理由がある。時代が進むにつれ、人間はどんどん手足を使うことが無くなり、アタマだけで物事が進んで、解決できるかのような認識が定着しつつある。特に近年はコンピューターの進化が更に進んで、人工知能の利用が普通になり、ますますその傾向は深まっていく。

 でもね、どんなに優秀なアイデアを人工知能が出してくれても、それをいざ実行するのは、人間が手足を使って、汗をかいて試行錯誤しなくてはならなくなる。たとえコンピューターが答えを出してくれても、それを実際に現実世界でやってみたら、想定通りにはいかないことが次から次から出てくる。

 人工知能が美味しい料理の作り方を教えてくれても、実際に人間が教わった通りに調理しても、理想的な料理が出来るわけではない。手の動かし方、火加減の調節の仕方、長い時間をかけて技術が身についた人間とは、明確な差が出て来るだろう。

 人間は情報だけ与えられれば、それができるというわけではない。手足を使って何度も繰り返して、何度も繰り返しても先生と同じ境地にはなぜか届かない、という壁にぶつかって、さらに壁を乗り越えないと、技術は本物にはならないと思う。

 農業だってそうだろう。教科書通りにやったからと言って、上手くいくわけではない。技術の核心は、教科書にも表現できない所にあるのだろう。

 人工知能が今後ますます使われていくだろうけれど、それに比例するように、「簡単には言語化できない技術」の価値も上がっていくと私は思う。そういう技術は、手足を使って体当たりでぶつかって、出口の見えない試行錯誤を繰り返して、長い時間をかけなければ身につかない。

 不思議なもので、コンピューターのような「情報」が幅を利かせる世の中になるほど、「身体」の重要性が増してくるのではないか。

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