2026年 5月10日

 山の若葉も鮮やかな日々。その一方、山の木々に咲く花は、ほとんどが白い花ばかりになって来る。例外は桐の紫くらいか。なんで初夏の時期の木の花って、白っぽいものが多いのか、以前から思うけれど不思議だ。

 上の写真はニセアカシア。外来種だけれど荒れ地でも平気で繁殖する強いマメ科の木。外来種といっても、もはや養蜂業者には必要不可欠な木だろう。藤野には趣味で養蜂をやっている人はけっこういるみたいだけど、たぶん、この時期の蜂蜜は上質な味がするんだろうな。

 ニセアカシアは木材としても特徴がある。硬くて水にも腐敗にも強いので、海外では鉄道の枕木にも使われていたそうな。そんな性質なのでウッドデッキなんかには最適なんじゃないかと思うけれど、まだまだ日本では本格的にこの木を材木として使う文化は無いみたいだ。けっこうな高木にもなるので、使いではあると思うのだけど。

 話に聞いた所では、このニセアカシア、成長の段階で幹の中に石を取り込んでしまう性質があると言う。もしその性質が顕著なのであれば、あまり用材としては、ちょっと扱いにくいというのは判る。製材や加工の際に木の中から石が出てきたら、たちまち刃物を痛めてしまう。

 こんな事を考えると、杉とか桧は、本当に扱いやすい木だと思う。

 前回の日記で、人を前向きにさせる土壌とはどんなものかと考えてみた。愚痴を吐きたくなっても、気持ちを切り替えて前向きに動き出せる力は、どこから出て来るのか。

 一つ思うのは、子供の頃からの成功体験が必要だと思った。それも、手足を使って形になるような成功体験。例えば機械をいじって何かを組み立てるのでもいいし、畑で何かを育てて収穫するのでもいいし、手間暇かけて美味しい料理を作るのでもいい。

 自分が何か手足を使って働きかけて、何らかの成果を出す、こういう体験を積んだ経験や記憶があると、人は強いと思う。何か心が落ち込むようなことがあっても、絶望に沈み続けて被害者意識に耽溺し続ける奴隷状態から脱して、「じゃあ、どうしようか」と前向きになって、「状況を替えるのは自分だ」と、自分こそが主人公だと思えるようになって再出発できる。

 自分の手足を使って、実際に、自分を取り巻く世界に対して働きかけて、何らかの成功を収める。こういう経験は、世界を変えて行くのは自分自身に他ならないと言う実感を、育んでいくのではないか。

 そのあたり、今の何でもインターネットで情報を得たら、それでおしまいと言う状況は、人を育てる上で危なっかしい側面があるのではないか。

 もう一つ、人の心を前向きにさせる土壌として思ったのは,子供の頃から、この世界の美しさに触れる事だと思った。それは決して自然の風景の絶景に触れると言う事だけではなくて、美しい街並みでも美しい人々の営みでもいい。芸術でもいいし、仲の良い仲間と歌を歌うのでも宴会を楽しむのでもいい。

 「この世界は美しく、愛するに足るものだ」、と言う実感は、一度なにかに落ち込んだ経験をしても、そこから再出発する助けになると思う。

 一つ、贅沢な希望を言えば、「世界の美しさ」の中に、美しい人間もいたら、良いなだけどなぁという事。美男美女の事ではなく、尊敬に値する人、という意味で。

 なかなか、そのような人との出会いなんていうものは、願ってもかなうものではない。だいたい、自分自身が大した人間ではないという自覚が私にはあるので、自分に無いものを人に要求するのは、ムシが良すぎないか、とも思う。

 まあ、そのような存在との出会いは、一生の内に数度あるかどうかだとして、自然の風景の美しさなら、いくらでも経験は出来るだろう。特に今の次期だって、緑の山に、青い空に白い雲。それだけでも、サッチモの歌ではないが、この素晴らしき世界、という気持ちにはなって来る。

 いろいろ書いてきたけれど、こういった、人々を絶望の淵から救い出して、前向きにさせてくれる土壌と言うものを、一度自覚的に再定義してみたらどうだろう。

 それだけでも、世の中に力強さを生み出す、新しい土壌になってくれるのではなかろうか。

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