アオダモの花が咲いている。晩春と言うよりも初夏の雰囲気が漂い始めて、そんな時期の風に軽やかに繊細な造形の花が揺れている。山を普通に歩いていても、なかなか「この木の名前は」と思っても特定できるものではない。よほど特徴がある木だったら別だけど、山の広葉樹となると素人にはお手上げだろう。専門家だったら葉の形や樹皮でも判るかもしれないが。
それでも、一年を通して観ていると、花を咲かせる時期に巡り合う。そんな時にようやく、ああこれはアオダモか、ああこれはエゴノキか、と判って来る。まあ、花が散ってしまうと、また判らなくなってしまうのだけど。
アオダモはかつては野球のバットに使われたと言う話を聞く。今はどうなんだろう。
中東での戦争の影響で、じわじわと世間一般からは見えない所でモノ不足が進行しているらしい。石油の供給が不安になってきて、燃料やオイルが不足がちになったり、薬品やプラスチック原料にも心配の声が出ているとか。
まさかとは思うが、こんな状況が続くと、プラスチックの代わりに、また山の自然素材を使おうなんて話にならないだろうな。なんだか戦時中にガソリンが足りないので松脂を集めていた話を思い出すが。
また前回の続き。
今よりも、より良い世の中を作り出すのならば、人格の向上が必要になって来ると書いたし、それには組織の各人が、それぞれ「良い流れ」を意識して作り上げていく自覚を持つべきだとも書いた。これには、「悪い流れ」を作らないという意味も含まれていて、苦しい局面になっても、自分が抱えたストレスを周囲にまき散らすように垂れ流しして、周囲の空気を悪くするようでは当然「悪い流れ」を作り出していることになる。
そんな苦しい場面でも「良い流れ」を作り出そうとする人は、やはり人格者だろう。
私は、人間がすべて「良い流れ」を生み出せるような人格者になれるとは思っていない。でも、これはできるのではないだろうか。
「その組織に属している人すべてが、「良い流れ」を作り出せる人格は貴重で有難い存在だと認識している」
(少なくとも、「良い流れ」を作ろうと努力する人を馬鹿にはしない)
こういう組織だと、問題の渦中にあっても、問題に対して前向きに対処して、解決していく力が生み出されていくと思う。自分が人格者になれる自信はなくても、人格者の存在を「有難い」と思える気風があるだけでも、その組織は救われるはずだ。
逆に言えば、人格者を馬鹿にしたり、足を引っ張る人が多いようだと、もはやその組織は自力で再浮上するのは不可能だろう。ただそうはいっても、多くの人々にとって、「人格を向上させよう」という提案は、どこか反発したくなるところがある。「何お前ひとりで良い子になろうとしているんだ」とからかいたくなる人も多いだろう。
絵にかいたような聖人君子を目指そうと思っても出来るわけではない。そんな人は、その存在が貴重だから聖人君子として崇められる存在にもなるのだろう。普通の人間には目指そうと思っても目指せる境地ではない。
そこで考えてみたのだけど、最初の一歩として「これだけをやってみたら」という提案がある。それは、どんな人の提案も静かに聴く事。そして、できるだけ助言は惜しまない事。
組織が「良い流れ」に乗る時って、組織の内部から様々なアイデアが湧き出て、そのアイデアの出方も今までの10倍とか100倍の勢いで出るようになったら、事態を打開できる提案だって増えて来る。
アイデアがあふれ出るように開花するためには、組織に属する人々全員が、自分の考えを提案する事に躊躇わないか協が必要になる。どんな意見でも、みんな静かに傾聴してくれて、決して馬鹿にはしない。そんな土壌があってこその、アイデアの開花だろう。
組織には、声の大きい人もいれば、声の小さい人もいるだろう。声の大きい人は普段からずけずけと発言するだろうが、もっと大事なのは、日頃声の小さい人でも積極的に発言してくれる雰囲気作りだ。まずは、それを最初の出発点にしたらいいかと思う。
一つ付け加えると、以下の事も守る必要がある。それは、たとえ敵と思われる存在(政敵かもしれないし商売がたきかもしれないし、性格が合わない苦手な人かもしれない)であっても、その人から助言を求められたら、その人の幸福を願い、その人にとって本当に正しいと思われる助言をする事。
意外に思われるかもしれないが、昨日の友は今日の敵で、昨日の敵は今日の友、と言われるような混乱した世の中の場合、たとえ敵対する人々であっても、「いったん助言を求められれば、あの人は誠実な助言をする」という人間は、じわじわと存在感を増してくるに違いない。
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