2026年 4月12日

 世界は鮮やかな花と新緑に覆われている。もはや山の景色に冬の名残は見当たらない。ただ、丹沢の山々や、山梨の山々を遠くから見てみると、新緑に覆われているのは標高500メートルあたりまでで、そこから上は、まだ赤茶けた芽吹き前の色合いをしている。山の頂上まで新緑が届くのは、もう少し先なのだろう。私もようやく、車のタイヤを替えた。

 4月に入って、三ヶ木から青根に向かう路線バスが、とうとう1往復になってしまった。お昼ごろに、三ヶ木から青根に向かい、そのまま青根から三ヶ木に戻る1往復。このようなダイヤで使う人がいるのだろうか。まあこのダイヤも、先は長いわけではなく、既に全廃の予定が決まっている。

 ただなぁ、早朝に三ヶ木から青根に行く便には、それなりに裏丹沢に登る登山者の利用もあったとは思うけれど、もやは登山者はバスは使うなと言わんばかりだ。まあ路線バスに換わる、公共交通の在り方も考えるとは市は言っているが。

 前にも似たようなことは書いたけれど、世界は少しずつ、あればできない、これも出来なくなった、これはお金が足りない、これは利用者がいない、ここは人が減る一方だ、と言う具合に、縮小ばかりしているように見える。これでは行きつく先は、誰もいない原野だけだろう。

 この流れを変える兆しは、なかなか現れない。

 人々をより幸福な未来へと目指そうとする時、これからは人格が重要になって来ると私は考えている。前回は、弱者とも歩調を合わせて生きて行く姿勢は、決して弱弱しいものではなく、むしろ弱肉強食の世の中でも力を発揮する考え方なのではないか、という可能性について書いた。

 ここで一つ、次の時代を切り開く人材に求められる、人格の要素の一つを確定したと言ってもいいだろう。弱者にも優しく、共に歩んでいく心。人類愛や隣人愛と言えば大げさになるが、基本的には人に対する愛情や優しさを備えている人格だ。

 それでは、これに付け加えるとしたら、どのような人格の要素だろう。

 私は、人々がより幸福になる人格的な道として、「問題解決能力の向上」があると思う。取りあえず、問題解決能力の向上があれば、困苦からの脱出も、夢の現実化も容易になる。そして、この「問題解決能力の向上」も、自分一人だけが、その能力が向上してもあまり意味はない。複数の人間が集まって、共同で取り組むことによって、問題解決能力の向上が開花する方が、より力を発揮するのは確かだろう。

 この、「集団での問題解決能力の向上」を考えた時に、私が真っ先に必要と思うのが、リーダーシップだと考えている。

 ただし、ここで大急ぎで強調しておきたい事がある。

 「リーダーシップ」と言う言葉は、なかなか難しい。そこにはどうしても、「命令する側」と「服従する側」の存在を想像しやすい。私が考えているリーダーシップは、それとは違って、人々に上下を作るものではない。

 あえて言葉を作れば、「良い流れを作る人格」と説明するしかない。何か問題が発生した場合、そこに集った人々各人が、この場での「良い流れ」とは何かを、自発的に考える様であれば、その集団の問題解決能力は開花するのではないかと私は思っている。

 むしろ、こんな時に、私が否定したいと思っている「リーダーシップ」という言葉のイメージの「主人と奴隷」という気風が蔓延した組織では、問題解決能力はまるで開花せず、主人は無茶な命令を繰り返すだけだし、奴隷はそんな命令には形だけ従って勝手な行動に終始するか、そうそうに逃亡する。問題解決どころでは無くなっているだろう。

 さて、ここでは簡単に、各人が「良い流れを作る」ように、自発的に行動すればいい、と書いたけれど、これが出来る人格というのは、なかなか高度だ。

 一例を挙げると、何か問題が発生したとする。何人かの集団でその問題を解決しなければならない。苦しい局面といえる。

 そんな時、自分の中に溜め込んだ不平不満やストレスを周囲に垂れ流し、現場の空気をかえって悪くする人だっているだろう。これはもちろん、「良い流れを作る」行為ではない。

 いま挙げたのは、一例に過ぎない。他にも、これは「良い流れを作る行為ではない」と思うような事例を目にした経験なら、誰にだって幾つもあるだろうし、いくつも挙げられるだろう。でも、ここではそういった事例を一つ一つ説明はしない。

 それよりも、各人が、「今の私がしている事は、組織全体にとって、良い流れを作っているのだろうか」という内省があるかどうかが、重要になって来ると思う。

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