2026年 2月15日

 上の写真は、前回の日曜日の降雪の後、月曜日のもの。それ以後、水曜日に雨が降ったり、やや暖かい日が続いたりで、陽の当らない北斜面以外では雪はすっかり消えた。ただ今回の雪、積雪中に車が走って、固く雪が締まって道路上がスケートリンクみたいになっていた場所が多く残った。そんな場所に雨が降ったりしたから、車で走っても危うくスピンしかけたな。

 雪と雨で、それなりの降水にはなっているはずだけど、これまでカラカラに乾燥した山にはスズメの涙だったらしく、山の沢の水もそれほど増えていない。

 なんかもう春が来つつあるような感じだけど、まだ何度か寒波は来るんじゃないかな。寒波と降水が重なったら、またいつでも雪になりかねない。

 私が、この世の中について考える時の基準に「ブラックか、ホワイトか」を使い始めたと、しばしばこの日記で書いてきた。その理由の一つに、誰でも直感的に判る言葉が欲しいと言う気持ちがあった。ブラック企業という言葉から、その企業がいかに平然と人を粗末に扱うか、自分の欲望の為なら簡単に他人を犠牲にして恥じないか、そんな精神性は伝わると思う。

 そんな、誰にでも伝わる、という平易さ、敷居の低さが欲しかった。

 ここ数年、「〇〇ファースト」という言葉をよく聞く。この言葉に賛同する人間が多いのは、それは、「自分は、二の次にされている」と絶望や怒りを抱えている人の多さの表れだろう。

 例えば、就職氷河期を過ごし、正社員になる道は塞がれて派遣社員として職を転々とし、給料は上がる事も無く、もう自分には明るい未来はないのかもな、と考えている人に、どんな言葉をかけてきたか。

 私は、与党も含めて、真に心を通わせてきた勢力って、ほとんど無かったんじゃないかと思っています。

 例えば、ここで気候変動について話をしようとしますね。でも、いきなり「気候変動」なんて言い出しても、「私たちは二の次だ」と思いが固まってしまった人には、「私たちの困窮をよそに、さぞ高尚な議論をしているんだろうな、いいご身分だ」と、ますます敵として認定されてしまう。

 でもここで、こんな表現を話の出だしに付け加えてみる。

「20年前、いや10年前と比べても、信じられないような夏の暑さになってきた。気温が35度とか40度とか、まともに外で働くこともできやしない。歩くだけでも命の危険を感じてしまう。

 この調子で進んだら、45度とか50度なんて気温も、10年後とか20年後にはありうる世の中になってしまうのか。そんな世の中になると、豊かな人間は標高500メートルとか1000メートルとかの涼しい高原に住んで、貧しい人間が低地でしか暮らせなくなるのだろうか。

 これは何とかしないと、私たちの生存の危機にすらなりかねない。」

 上記の文章で十分な効果があるかどうかは判らないが、少しは、「これは私にとっても重要な問題になるかもな」という気持ちになってはくれないだろうか。

 私は、人の嘆きに耳を傾け、その人の心に寄り添う言葉をかけてきたか、という点において、与党も野党も、保守も革新も、どっこいどっこいだったと思っている。

 ただ、保守に比べて革新は、どうしてもその立場上、理想を語る事が多い。しかし、理想を語るにしても、怒りや嘆きを抱えた人に対しては、そんな人々の心にも染み入るような表現をしないと、「私たちの苦悩をよそに、勝手な事をしている」と敵認定される結果を招きやすい。

 まあ、こんな考察も、すぐに自分自身に帰って来る。

 果たして私が発する言葉は、人の心に染み入るような、ともに寄り添うような力を持っているのだろうか。

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