雪が降った。土曜日から降り始めてはいたが、本降りになったのは翌日の日曜日からだった。牧馬でも10センチは積もっただろうか。夕方には除雪車が出て、道路の雪を取り除いていった。
久しぶりの雪という事もあったのだろう。道路上には、走行不能になって立ち往生している車も多くあった。相変わらず、雪なのにスタッドレスタイヤを付けていない車で動けなくなっているのもあったが、案外多いのが、スタッドレスタイヤは付けているけれど坂道でスピンをしたり、壁やガードレールにぶつかったりして動けなくなっている車。山道のような坂の多い所では、スタッドレスタイヤでも坂道で身動きが取れなくなることがある。
例えば、雪も新雪の状態だとスタッドレスタイヤなら、そう簡単には滑らない。でも、そんな雪の上を車が通過していく内に踏み固められ、氷の塊になる場合もある。いったんそんな状態になれば、スタッドレスでも安心できない。基本、冬タイヤはそんな氷の路面でも対応できる性能を持っているのだけど、じゃあそんな路面で、それも坂道で、いったん停止した状態から再出発できるかとなると、急に難しくなる。
悪条件が重なると、タイヤの準備ができていても対応できない。そんな場面になると、四輪駆動でないと太刀打ちできない。もしくは、タイヤの上に更にチェーンを巻いて使うとかしないと、安心して走れないね。
そんな道路に混乱をもたらす雪だけど、ずっとカラカラ天気が続いてきた事を思えば、有難い降水でもある。これで山火事の心配も少しは遠ざかっただろう。雪を降らせた低気圧は日本の東海上へと去っていく。そうなれば、また西高東低の気圧配置となり、北から季節風が吹き下ろしてくるだろう。いくら道路の雪の除雪が終わったとはいえ、今度は路面の凍結を心配する必要が出てくる。
この日記でここしばらく、私は主義主張で物事を考える前に、「それはブラックか、ホワイトか」で考えるようになったと書いた。そして、一口に「正義」といっても、その正義の使い方次第で、ブラックな正義とホワイトな正義がありうると言う事も。
ホワイトな正義を求めるのなら、正義の使い方にも慈愛や礼節があるかが問われる事になる。それはやがて、その人の振る舞いに「徳」があるかどうかが問われてくると。
おそらく、組織がホワイトであるかどうかについて、これから、ある程度の熱意をもって語られてくるようになっていく予感がある。と言うのも、人口減少社会と言われるようになって久しく、企業によっては、新入社員が来てくれない所も出て来るだろう。そんな、組織にとっての冬の時代に、人が集まる組織とは何か、人が集まって発展していく組織とは何か、やがては「三方良し」と言われるような、組織も幸福になり、世の中も幸福になるような好循環はどのようにしてできるのか、という考察も、必要になって来ると思う。
そんな考察の中で、やはり組織の運営には、徳が必要になっていく、という発想は自然に湧いてくるだろう。人が逃げていく組織ではなく、集まって来る組織。人々が実力を発揮し、それがその人にとっての喜びとなる組織。ホワイトな組織とはそういうものだろう。
ホワイトな組織と言うのは、何も組織のトップが人格者だったら実現できるというものではない。その組織に集る人々全体が、ホワイトな組織とはどのようなものかに関する認識を共有する必要がある。
どんなに「私は下っ端の人間です」と言っても、じきに新たな参加者が入れば、その人の指導役になる場面も出てくる。そんな時、指導役を任されたなら、「私自身はホワイトな人間なのか」と自問自答しなくてはならなくなる。果たして私は、人が親しんで集って来る人間だろうか、それとも、人が去っていく人間だろうか。人に指導を与える時、その人の成長と幸福を心底から願いながら指導しているかどうか。
そんな場面に直面した時、徳は何も組織のトップだけのものではなく、誰もが「自分に徳があるかどうか」が問われる存在だという事が判って来る。
これまで書いてきた事柄は、人によっては、世の中を良い方向に変える手段としては、ずいぶんとのんびりした、迂遠な手段に見えるかもしれない。でも私は、これが出発点だと思っている。
気が付けば、陽が沈むのもだいぶ遅くなってきた。雪になったとはいえ、これから徐々に暖かさも増してくるだろう。
人々の、徳によるネットワークで、世の中を活性化できるようになるまでに、どれくらい時間がかかるだろうか。
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