2026年 1月25日

 この週は大寒とあって、その名に偽りのない日々になった。どこか、体から体力を削り取るような、容赦のない寒さを感じた。不思議なもので、例えば同じ気温3度だとしても、普通に屋外で活動できる3度もあれば、寒い寒いと震え上がる3度もある。この違いはどこから来ているのだろう。

 一つ想像が付くのが、風の有無だろうか。冷たい季節風が吹き荒れると、同じ晴天の3度でも感じ方はだいぶ異なる。それに、冷たい風が吹くようだと、いかに日照に恵まれた関東の冬だといっても、陽の当たる場所に布団を干してもいっこうに暖かく成ってくれない。むしろ、布団の中に冷たい空気を取り込んでしまう。

 こんな日は、屋内の日当りのいい縁側とかに布団を寝かせて、陽を当てた方がずっと温まる。私は花粉症ではないけれど、いずれ杉花粉が出始めると、寒く無くても屋内で洗濯物や布団を乾かす人が増えるんだろうな。

 そんな季節風が吹く中、心配された上野原の山火事は、ようやく鎮火できたらしい。炎や煙はだいぶ収まってきていたが、山の中で火種がくすぶっている所を念入りに探しては確実に消化しきるまで、山火事の収束とは言えないのだろう。先日、そうした地道な作業も終えて、鎮火の報告となったようだ。

 山の中でくすぶっている火種とか、どうやって探すんでしょうね。やっぱり、赤外線かなにかでしょうか。

 昨年から、私は世の中の現象や方向性に関して、それがブラックかホワイトかで見るようにしている、と言った事を書いてきた。「正義」だって、それ自体が確実に「正しい」かといえば、そうでもなさそうで、ブラックな正義とホワイトな正義があるのではないか、と。

 今回もそんな話。これからの世界の正義は、こういう形になるのではないか・・・というか、こういう形でないと、最後までまとまらないのではないか、と思ったことがある。

 それは、人から助言を求められたとき、もしくは、こちらから助言を与えようと思った時、相手に対して、真に相手の幸福を願って助言を与える、ということ。これだけだと当たり前に聞こえるかもしれないが、もう一つあって、自分とは考えの違う人、さらには、自分とは対立する関係のある相手であっても、助言をするならば、真に相手が幸福になるような助言をする事。

 ちょうど、選挙が行われるそうで、そんな話もでてきているが、もし、真に世の中全体を

変えていくような流れを生み出すものが有るとしたら、そんな姿勢にあるのではないかと考えている。

 ずいぶんと迂遠な考え方と思われるかもしれない。弱肉強食と優勝劣敗の世の中では、あまりにも幼稚な考え方とも思われるかもしれない。

 でも、いかに迂遠だ、遠回りだ、そんなバカバカしい事に関わってられるか、と思われるような事でも、時間が経ってみれば、結局それが一番有効で近道だったと言う事もあるかもしれない。

 少なくとも私は、誰に対して助言をするのでも、誠実に相手が幸福になるような助言を、微力ながら一生懸命考えて伝えるつもりだ。

 私は、どんな人の意見であっても、その人の意見を冷笑はすまいと思った。相手の意見に私が同調できず、むしろ相手の意見に反対の立場になり、相手の意見を否定し、反論する場合でも、冷笑でも侮辱でも罵倒でないのは当然として、礼儀正しさをわきまえるのも当然として、相手の幸福を願う気持ちは捨てずにいようと考えている。

 なんか私には、最終的に世界を良い方向に変えるのは、そのような考え方の人間が、網の目のように結び付いた時ではないかと、漠然と思うようになったから。

 実はこの考え、私が正月元旦の朝、妙な確信みたいな形で思い浮かんだ(オカルトじみた書き方になって申し訳ない)。その時、もう一つ思い浮かんだことがある。

 孔子が、そういう人だったんですね。この人、論語を読んでみると、いろんな人から助言を求められるけれど、中には孔子にとっては政敵とも言える人からも助言を請われる事がある。

 そんな場合でも、孔子は、相手の立場に立って、相手にとって最も必要で、相手が最も幸福に近づけるような提案を、大真面目に答えている。これは、これまでは単に孔子のお人柄だろうと思ってたけれど、もしかしたら、孔子自身が自覚的に意図した姿勢なのかもしれない。

 古代中国では、乱れた世の中をまとめるにはどうすべきか、諸子百家の様々な説があふれ出た。あるものは強力な軍事力で解決しろと言い、ある人は経済力が大事だと言い、ある人は法律の整備が重要だと言った。孔子自身は、軍事も経済も法律も、それらを人間が扱う以上、軍事を重要視する世界は軍事で衰退して滅び、経済を重要視する世界は経済で衰退して滅び、法律を重要視する世界は法律で衰退して滅ぶ、と考えていた節がある・・・と、私は考えている。

 つまり、最後に問われるのは、結局、人間だと。そんな孔子が、どのような姿勢で世界と向き合ったのか、今になって急に生々しい実感と息遣いが感じられた。

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