2025年 7月13日

 ヤマユリが咲き始めた。今年は当たり年のようで、あちこちに綺麗な花を咲かせて、濃厚な香りを漂わせている。ただ、ヤマユリの根は人間にとっても美味だけどイノシシにとっても同じらしく、ヤマユリが群生する所は、たちまちイノシシが掘り返してしまう。その結果、ヤマユリが多く咲き誇っている所というのは、崖のような場所だったり、イノシシにとってもなかなか手ごわい場所に落ち着いている。そういう所のヤマユリだけが生き残れるのだろう。

 6月の下旬から猛烈な暑さになって、もはや梅雨は戻ってこないかと思われた。実際、東海地方は梅雨明けが発表されている。それでも、関東地方は気象庁にとっても判断に迷いがあったのか、梅雨明けとはなっていなかった。

 それが先週の後半から雨が降り始め、金曜日の夜からはだいぶ涼しくなった。このところの暑さで寝る時はタオルケット一枚で十分だったけど、夜の3時頃に寒さに目が覚めて、毛布を取り出してかけ直して寝たりした。今日の日曜日はすっかり晴れ渡ったが、それでもあの猛暑とはだいぶ違う。午後の2時や3時頃でも、エアコンの無い部屋でも風を通せば、そこそこ不愉快な感じもせずに居られる感じだった。猛暑の本番の時は命の危険を感じる程、「とても居られない」と言う丈太なんだけど。

 この夏は、この先はどうだろう。もちろん、これからまだまだ暑い日は来るはずだし、酷い猛暑もあるだろう。でも、案外に秋が早い可能性もあるかもしれない。

 そんな印象を受けたのは根拠があるわけではない。既に夏至から一か月近く過ぎて、真昼でも少し太陽が低くなってきたことに気づいたからだ。まだ夏の本番はこれからだと思うけれど、少しずつ、影の長さに目が行く季節になっていく。太陽の光はとうに、盛りを過ぎて秋に向かっている。

 まあそうはいっても、過去には9月の終わりころまで殺人的な暑さが続いて、「もうほんとに勘弁してくれ」と泣きたくなる年もあったけれどな。

 何度かここでも書いてきたとおり、藤野では、そりゃあ昼間は普通に暑くなるけれど、夜になれば冷房いらずの涼しさにはなる。標高が300メートル程度ある事も原因だけど、周囲に木々が生い茂っている事も大きいだろう。

 都会はコンクリートの建物とアスファルト舗装で、夏の日差しを浴びては太陽熱のエネルギーを存分に吸収する。その熱は日没後に放出され、その結果、都会では日が暮れても涼しくならない。都会を涼しくしようと考えたら、いかに都会の建物や町を、蓄熱しない構造にしていくかの知恵が必要になって来るだろう。

 都市が構造的に熱を溜め込まない形になれば、夏の暑さを無理やり涼しくさせようと冷房を酷使する機会も減って来る。冷房は確かに部屋の中は涼しくなるが、室外機からは熱を放出する。この熱の発生も、都市を暑くさせている要因かもしれない。

 冷房を使わないで済めば、室外機からの排熱も無くなる。ヒートアイランド(熱の島)という言葉に表されるような、都市だけが猛烈に暑くなる現象が緩和されていく。

 自動車も、これからは電気自動車が増えて行くだろう。そうなると石油を燃やして走り回る車が減っていく事になる。これも、都市を涼しくしていく流れになっていかないか。

 たぶん・・・だが、都市を涼しくしていく技術、無用に熱を放出しなくてもいい技術は、これからも進んでいくだろう。もう何十年かすれば、都市もそれほど暑くはならなくなっているかもしれない。まあそれでも、山里より涼しくなる事はなかろうが。

 後は、そうだなぁ、都市にも積極的に緑地帯を作って、夏には心地よい木陰を増やしていけば、少しは猛暑に対しても、そこまでおびえる事も無く、ほっと一息つけながら暮らせるようになるんじゃないかなぁ。

 夏の木陰と言えば、私が必ず思い起こすのがこの曲。

【イタリア語】オンブラ・マイ・フ (Ombra mai fu) (日本語字幕)

 ヘンデルの作曲。「懐かしき木陰よ」と日本語では訳される。

 私としては、夏の厳しさを乗り越えるのなら、エアコンの効いた部屋に閉じこもるよりも、心地よい木陰に涼んで、吹き抜ける風を感じながら一休みする方が良いなぁ。

 夏の家を涼しくするのに、家の側に木々を茂らせて、家を日射から防いで日陰にするという話もある。それだと冬は陽が当たらなくて寒そうだけど、その場合は冬は葉を落とす落葉樹を選ぶ事になるな。

 確かに夏は涼しかろう。でも家の側にそんな大木があると、台風なんかの時に木が家に倒れてこないかが心配になるね。

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