連日のように猛暑になった。梅雨はどこかに行ってしまったらしい。各地で37度とか記録的な暑さを叩きだしている。週間予報を見ても、35度とか36度とかいった恐怖を感じさせる最高気温の予想が、ずらりと並んでいる。こんな暑さが毎年のように襲いかかるようでは、いよいよ気候変動も深刻化してきたと誰でも考えるかもしれない。
ただ・・・、人々が気候変動について真剣に考えてくれるようになるのは大事だと思うし(何より今は選挙期間中でもある)、今後も人々が末永く安定して暮らせる環境を守っていこうと考えて、行動に移すのは必要な事だ。ただ・・・、なんか今回の夏は、暑い事は暑いのだけど、昨年や一昨年のような暑さとは、ちょっと違う感じがする。
昨年や一昨年の暑さは、猛烈だったし、何か「どこにも逃げ場がない」というな、身の回り全てが暑くなるような感じだった。午後の1時から夕方の4時頃まで、冷房のない部屋ではとても居られない、居たら死ぬと思うような暑さだったけど、今年の暑さはそこまでではない。そのような時間帯でも、風が吹き抜ければ心身ともにホッとできるような安心感がある。
まあこれは藤野が山里だからでもある。平地だったら、こんな印象はないかもしれない。
また、こんな違いも感じている。ここ数年、藤野の山里でも、夏場は夜でも寝苦しく感じる日が増えてきた。
20年前、いや10年前でも、藤野では熱帯夜なんて体験したことが無かった。昼間は平地並みに気温が上昇しても、夜になれば山の上から涼しい風が降りてきて、心地よく眠れて冷房の必要性なんて全く無かった。それがここ数年の傾向として、夜になっても、なかなか涼しい風が吹いてくれず、まるで空気が止まったようになってしまい、少し寝苦しい夜が増えてきた。
今年の夏は、まだそれがない。夜になれば涼しくなるのはもちろん、前述の通り、昼間の暑い盛りでも、ときおり心地よい風が吹き抜けていく。まあ、夏は始まったばかりだし、これからどうなるかは分からないけれど。
今年も暑い夏になるのは確かだろうけれど、昨年や一昨年の事を考えれば、少しはましかもしれない。
時々、この日記では、新緑の時期を終えて初夏に入った山の景色は、緑一色で単調な気がする、と書いてきた。季節としては、葉っぱは勢い良く茂り、その葉っぱを勢いよく毛虫が食べ、その毛虫を勢いよく鳥が食べる、生命力が爆発的に盛んになる季節なのだけど、色彩となると少し乏しい。花も咲くことは咲くけれど、くすんだ白っぽい花が多くて、いずれも地味な感じだ。
それが7月に入ると、また色彩が賑やかになって来る。ヤブカンゾウの花、ネムの花、ヤマユリも見事な花を咲かせ始める。
こういう変化も、私には不思議に感じていた。初夏の頃は、地味な花の方が生存戦略として有利なのか、そして盛夏になると、派手な色彩でも生存戦略として有利に働くようになるのか。
昼間の暑さで大気が不安定になったか、夕立が激しく降り注いで屋根を打つ。そんな中も、案外ゆったりと、蛍は明滅しながら音もなく飛んで行った。そして朝の4時にもなると、山全体から、一斉にヒグラシが鳴き始める。盛夏とは、色彩だけではなく、音も光も、みんな賑やかになるようだ。
そんな夏の光景を、私は好ましいものとして見ているし、感じている。こんな、夏らしい夏が、これからも続いてくれればいいのだけど。
ヨーロッパ、とくに地中海沿岸地域は、日本に負けず劣らず猛烈な暑さらしい。暑さで死者も出しているとか。ここ1~2年、あまりに性急に進むかに見えた、電気自動車の普及の勢いが低下してきた。確かに、少し無理があったと思う。
かといって、ヨーロッパが温室効果ガス排出抑制に消極的になったわけでは決してなく、この方向性は今後も根強く進んでいくと思う。電気自動車の普及も、一度仕切り直しをしてから、また本腰を据えて進み始めるはずだ。自動車に限らず、ヨーロッパ諸国にモノを売りたければ、温室効果ガスの排出を抑制したモノでないと、売る事も出来なくなる。
なんかそのあたりの、ヨーロッパの本気度が、日本では理解されていないような気がする。選挙期間中だけど、あまり、この方面の議論は盛んではないようだ。対応を誤ると、世界中にモノを売れなくなりかねないのに。
案外、有権者よりも、政治家よりも、官僚よりも、製造業の最前線で、常に海外の人々と直接触れ合っている人々の方が、その方面の危機感もあるだろうし、対応も独自で進めているんだろうな。
0コメント