2026年 8月30日

 8月も終わろうとしている。山道ではセンニンソウの花が目立つようになった。有毒植物で、牛や馬が食べないことから「馬食わず」という名称もあるのだとか。ただ花には蜜や花粉が多いのか、蜂やコガネムシが沢山群がっている。

 蒸し暑い日々もあるけれど、週の半分近くは一日のどこかで雨が降る日になる。そのたびに暑さは和らいで涼しい夜になる。昨日の土曜日の夜は、薄手の毛布とかタオルケット一枚では寒いくらいで、もう少し厚めの布団を使った。これから9月いっぱい、猛烈な酷暑にならないとも限らないけれど、思いのほか今年の夏は、ほどほどの暑さで終わるのかなと思う。

 先日は千葉県で大雨になったが、今度は北陸で大雨になったらしい。ここでも車が水没するニュース映像が流れた。やはりエルニーニョ現象の年は雨が多いのかなぁと考えるのだけど、ぜんぜん雨に恵まれない地域もあるようで、和歌山県では渇水で川が干上がっているという話も聞く。贅沢なお願いかもしれないが、もうちょっとバランスよく雨が降ってくれないものか。

 雨以外にも、ここへきて九州の地震とか関東の地震とか、いろいろと防災を考えさせる事柄が多い。またネパールと中国の国境付近で大規模な土石流が発生もした。こちらも恐ろしい映像が流れている。篠原でも9月13日に防災訓練があるけれど、いろいろと考えさせられるな。

 これからの未来、防災に関してどんな進化がありうるのか考えてみると、もしかしたら大量のロボットやコンピューターを使えば、もう少し災害の発生を早めに知ることが出来るかなと思った。さすがに地震のような、突発的な災害には対処できないけれど、例えば大雨の時の土砂崩れの場合、山の各所に小型のロボットが見回りをしていて、雨の量や沢の増水、地形の変化などを常に監視している。土地がミリ単位で動いているかも監視して、地滑りの兆候がないかも随時調べ続ける。こんな観測網だったら、土砂災害の兆候も早めに気づけるのではないか。

 かつては監視カメラも高価だったかもしれないが、今は割と気軽に使える程に普及している。いずれは、小型のロボットもそんな感じで普及する未来もあるかもしれない。

 さっき、地震は突発的に発生するから、いかに観測網を細かく配置しても、予測はできないだろうと書いたけれど、それでも、大量の物量を投入して、従来の何十倍、何百倍の観測装置がばらまかれれば、予知とまではいかないものの、警戒すべき兆候を見出す可能性は高まるかもしれない。

 ロボットに頼りすぎる未来については、私も警戒しているし危惧もする。でも、それまで不可能だったことが可能になる未来も、たしかにそこにはあるのだろう。

 もちろん、もっと薄気味悪い未来の可能性もありうる。監視カメラ並みに、ロボットが小型化、高性能化、低価格化、大量生産が達成されたら、町中にロボットが人間以上の数で動き回っているかもしれない。ロボットの大きさも、人間と同等の大きさの物から、昆虫並みのものまで多種多彩になり、そうなるとロボットによる観測網の対象が、人間の営みにも使われてくる。プライバシーなんて丸裸にされそうだけど、「犯罪を起こしそうな人間や組織に、24時間体制で監視して何が悪い」という意見も出そうだ。

 例えば再犯率が高いとされている犯罪者が、服役を終えて社会に復帰しても、しばらくの間は本人の見えない所で、複数の小型のロボットが監視する世の中になるかもしれない。このような事が人権上許されるのかと考えるのだけど、この世の中って、悪人を罰して何が悪い、という意見も強いからなぁ。

 ここで、「人間の力」とは何か、という問いがある。

 これまでの歴史を見ても、人間が幸福に生きられる世の中とは、どういうものか、多くの思想家によって考えられてきた。そこには宗教も含まれて、正しい人間の在り方、正しい社会の在り方についても考察が繰り返されてきた。

 人が、人らしく、幸福に生きられる世の中とは、どういうものか。その理想像には、人が道を踏み外さない世の中とは、どううものか、という考察も含まれる。

 人間は、ロボットの普及で、精神的に強くなれるのだろうか。ロボットに頼りすぎて、理想的な世の中を作る意欲も失ってしまわないか。

 人工知能が流行る世の中だけど、理想の世の中の形を考える努力さえ、人工知能に任せるようになったら、それはもう人間の退化だろう。そうなると、もう人類からは、ソクラテスや釈迦や孔子は生まれないかもしれない。

0コメント

  • 1000 / 1000