2026年 3月29日

 牧馬の桜は2分か3分咲きといったところ。4月に入ればすぐに満開になるだろう。山の藤野と比べ、平地の方は既に満開になっているかもしれない。ただ、同じ藤野と言っても、けっこう標高差はあるし、気温差もある。木々は、そんな差を明確に反映しているから面白い。

 この週は雨の多い週だった。それでも、渇水で底の見えかけているダムを満たすには、まだまだ遠く及ばないだろう。相模湖はダム湖なので、相模湖の水位が低くなっているのは、更に下の津久井湖の方に水を集中的に送りたいと言う考えがあるのだろうか。次の週も、それなりに雨は多めらしい予報が出ているので、それに期待したいところだ。

 春を迎え、山々は芽吹きの時を迎えている。木々は花を咲かせたり新芽を出したりして、それまで枯れていた山に色合いを増やしている。色彩的に明るくなっている山だけど、春は空気が白っぽくかすんでいるので、色彩が増えても鮮やかと言うよりは、眠たげな光景に見える。

 今日が篠原牧馬自治会の総会の日。こうして年度末の行事が終わっていき、4月を迎えることになる。

 以下は前回の続き。

 もし、今あなたが、この世界は幸福ではないと思っているのなら、この世界にはまだ、この世界を幸福に出来る力が弱いと言う事なのかもしれない。勿論、実は世界は既に幸福だけど、あなたが我儘で満足できていないと言う可能性もあるけれど。

 ただ、ここまで回数を重ねて書いてきたけれど、民主制も産業革命も資本主義も社会主義も、その時々で、人々がより幸福を望んだ気持ちが動力になっていた。

 現代は現代なりに、いろいろと問題は抱えている。それらの問題が解決されるのなら、それは幸福な事だろう。しかし、これは私の実感だけど、現代はなかなか人々を、より幸福な方向へ導く手段が見つからず、手づまりな状況に見える。まあ今でも新技術は生まれているし、それによって広がる幸福はあるだろう。でも、政体や制度の変化、〇〇主義による変革、といった手法では、もう次の次元の幸福は実現できないのかもしれない。

 そんな時に、とりあえず、様々な事柄を、「ブラックか、ホワイトか」で考えてみるようになった。

 生き方、考え方、仕事の仕方、仕事の在り方、人間関係の在り方、目指す理想の未来の在り方、それぞれに、ホワイトな形とはどういうものなのか、考えてみる。これは単に、私一人が考えるだけでは駄目で、このような志を共有する人たちが、それぞれに語り合いながら思索を深めて行くような関係でなければならない。

 これは一歩間違うと、(神の信仰はなくても)宗教の教団みたいになってしまう危険性がある。それとは違う形は無いものか。

 そう考えた時に、江戸時代が始まった頃に、儒教が盛んになった事を連想した。

 本来、武士は戦争に勝つことを目的にして生きている。まさに弱肉強食の世界で、江戸時代の始まりは最後に勝った徳川氏の日本の統一だった。しかし、相変わらず武士の発想は弱肉強食で、何となれば徳川政権を倒して自分が天下を取ってやろうと言う気風だって、濃厚に残っていただろう。何しろ「下剋上」こそが、戦国時代の気風だった。その気風をそのまま残して、安定した政権が維持できるわけがない。

 そこで、儒教、その中でも陽明学を導入して、主君には忠義を尽くして使え、高い人格と礼儀正しさでもって、民衆の守護者としても自覚して振舞う「武士道」という思想というか気風が醸成されていった。これは、お上が強制した道徳と言えば反発心が湧くかもしれないが、日本全体の事を考えると、かなり理想的な流れだったと私は思う。

 弱肉強食の時代が一段落すると、高い人格や倫理観を求める流れになっていくのだろうか。これはそのまま、現代の状態にも重なって来る。

 江戸時代に武士道が必要とされたように、現代にも「〇〇道」が必要とされ始めるのか。それはどういう形になるのか。

 私が様々な事柄を、「ブラックか、ホワイトか」で考えるのは、そんな「〇〇道」の姿を探しているからでもあるのだろう。

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